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社長挨拶

テコハブ株式会社 社長挨拶

「失敗だらけの人生」が、私をここまで連れてきてくれました。

皆さま、こんにちは。
テコハブ株式会社 代表取締役の中野太助(なかのたすけ)です。
数ある企業の中から、私たちテコハブ株式会社のWebサイトをご覧いただき、誠にありがとうございます。

世の中の代表挨拶といえば、たいてい華やかな実績や理想のビジョンから始まるものかもしれません。
けれど私は、あえてこう宣言させていただきます。

私は、これまでの人生で失敗ばかりしてきました。

泥水をすすりながら、這い上がってきた人生でした。
うまくいかないことばかりで、自分が掲げた理想と現実のギャップに何度も打ちのめされました。
「もう無理かもしれない」そう思った夜も数え切れません。
けれど、私はそのたびに、逃げずに、誤魔化さずに、どんなに格好悪くても前を向いてきました。

悔しさにまみれ、涙で枕を濡らした夜。
明日の支払いのことしか考えられず、胃がキリキリと痛んだ朝。
誰にも理解されず、一人孤独に震えながらも「自分にはまだ何かできるはずだ」と信じて、前に進んできました。

そして今、私はこうして一人の経営者として、多くの中小企業や地域の事業者の皆さまと共に「集客」「採用」「販路拡大」というリアルで切実な課題と向き合う仕事に携わらせていただいています。

私たちテコハブ株式会社は、単なるWeb制作会社でもなければ、広告代理店でもありません。
“テコ”のように人や企業の可能性を持ち上げ、“ハブ”のように人と人、人と地域、人と未来をつなぐ。
そんな存在でありたい。
それが、社名の由来であり、私たちが胸に刻んでいる志です。

日本全国、特に地方では、事業を取り巻く環境は決して楽ではありません。
人口減少、地域格差、採用難、販路の限界……中小企業や個人事業主の方々にとって、目の前の“課題”はとてつもなく大きく見えることもあるでしょう。

私たちは、そうした皆さまの「右腕」として、二人三脚で成長を支援する“集客の家庭教師”です。
「人が来ない」「売上が上がらない」「採用してもすぐ辞めてしまう」──そんな苦しい現実を、“仕組み”と“戦略”で変えるお手伝いをさせていただいています。

その源泉となっているのは、何を隠そう、私自身が何度も失敗してきた経験です。
起業してすぐ、営業に回っても誰にも相手にされなかった日々。
プログラミングを独学しながらも、毎晩バグに苦しめられたあの夜。
学習塾を立ち上げるも3年連続で経営危機に陥り、「仕組みがなければ潰れる」と痛感した経験。
カナダ留学中、拙い英語でマーケティングの授業に必死に食らいつき、「伝わらなければ存在しない」と気づかされた教訓。

すべてが、今の私とテコハブを創り上げてくれた“財産”です。

私たちテコハブ株式会社は、「人々や地域のテコになり、ハブとなることで、人生と未来をよりよくする」という理念を掲げ、地方に根ざした支援を続けてきました。

これまで1000社以上の企業・事業者の皆さまと向き合いながら、ただの“施策”や“結果”だけではない、その企業や経営者の「想い」や「信念」に寄り添った支援を心がけてきました。

私たちが目指すのは、20年後、30年後も続く地域経済の再生です。
そのために、私たちは「地域課題解決型プラットフォーム」として、企業の新陳代謝を促し、現場に根ざしたマーケティングを追求し続けています。

私たちが掲げる「八方良しの経営」は、
「自社」「顧客」「仕入業者」「地域」「競合」「業界」「出資者」「協力者」すべてに良い影響を与えることを追求する考え方です。
関わるすべての人と共に成長し、豊かな未来をつくっていく。
それが、私たちの存在意義だと信じています。

「失敗ばかりの人生だった」──だからこそ、私は声を大にして伝えられます。
「どんな過去でも、志さえあれば、今からいくらでも逆転できる」と。
あなたが今、つまずいていたとしても、それはきっと“始まり”の合図です。

その一歩を、ぜひ、私たちと共に歩ませてください。
あなたの「本気」に、私たちは全力で応えます。

心から、そう願って。

「バイトするくらいなら独立したほうが早い」と思った19歳

私は奈良県で生まれ育ちました。
静かでのどかな地域で、普通の高校を卒業し、大学へと進学した頃。周囲の友人たちは、こぞって飲食店やコンビニのバイトに応募していました。もちろん、私も生活費や学費の足しにしなければならず、アルバイト情報誌を毎日めくっては応募先を探す日々でした。

でも、心のどこかで違和感があったんです。
「自分の時間を切り売りして、時給750円。これが“働く”ということなんだろうか?」
そんな問いが、ふと頭をよぎったんです。

そこで思いついたのが、「自分で仕事をつくる」という選択肢。
「人に雇われるくらいなら、自分で稼げる力を身につけたい」
そう思って、私は19歳で家庭教師として独立することを決意しました。バイトではなく、“事業主”として生きる人生のスタートです。

しかし、現実は甘くありませんでした。
どこの馬の骨とも分からない、教員免許も持っていない19歳の大学生に、大切な子どもを預ける親なんて、いるわけがなかったのです。

自分で作ったチラシを自転車で配りまくり、ネットの掲示板にも書き込んでみた。
それでも、問い合わせはゼロ。数週間、完全な沈黙が続きました。
世の中はそんなに甘くない。
才能もコネもない自分に、社会の厳しさが牙をむいた瞬間でした。

でも、ここで私は踏みとどまりました。
なぜなら「これが“ダメだった理由”を知りたい」と強烈に思ったからです。

「なぜ信頼されないのか?」
「どうすれば“この人に任せたい”と思ってもらえるのか?」
「自分を“探してもらう”にはどうすればいいのか?」

この問いが、のちに私の人生を大きく変えることになります。
──そう、「マーケティング」という魔法のような学問に出会ったのです。

私はこの時、「モノやサービスを売る以前に、“自分という存在を信頼してもらう”ことの難しさ」と、それを実現するための「伝え方」「見せ方」「届け方」が、いかに大事かということを、肌で学びました。

この原体験が、後のカナダ留学でも、塾経営でも、今のテコハブ株式会社のすべての原点になっています。

そう、あの19歳の挫折がなければ、今の私は絶対に存在していません。
あの時の“うまくいかない経験”が、私を「自分で学び、自分で気づき、自分で変えられる人間」に育ててくれました。

そして今、私はあの頃の自分と同じように、「どうしてもうまくいかない」と悩んでいる人たちと向き合い、その突破口を一緒に見つけ出す仕事をしています。
苦しかった過去が、誰かの未来を照らす光になれる。
そんな日々を、今は全力で楽しんでいます。

カナダ留学──泣きながら受けた、マーケティングの授業

大学在学中、私は思い切って、カナダへの語学&学術留学に挑戦しました。
言ってしまえば、「英語もまともに話せない」「海外経験ゼロ」「頼れる人もいない」──そんな自分をあえて、“異国の戦場”に放り込んだようなものでした。

今でこそ「海外でマーケティングを学んでいた」というと聞こえがいいかもしれません。
ですが、実際のところは地獄のような毎日でした。

現地の大学では、いきなり英語でのマーケティングの授業に放り込まれました。
しかもそれは、一方的に先生が話す講義形式ではなく、カナダ人の学生たちとディスカッションで意見を戦わせる形式。

当然ながら、彼らはネイティブ。
しかも、プレゼンやディベートに慣れきった「ロジカルで当たり前に発言する」文化の中で育ってきた猛者ばかりです。

一方、私はというと…

  • 「英語が聞き取れない」

  • 「何を言いたいかまとまらない」

  • 「意見を述べようとしても、そもそも“英語”が分からない」

そんな状態でした。
最初の授業で、「じゃあ君はどう思う?」と指されたときのあの緊張と絶望。
頭が真っ白になって、思わず “I think… it’s… good.” とだけしか言えなかったあの日。
あの時のクラスメイトの「ポカン」とした顔を、今でも忘れられません。

授業が終わったあと、トイレの個室にこもって声を殺して泣きました。
自分の情けなさと、まったく通用しない現実に、心が折れそうになりました。

でも、私の中には19歳での家庭教師時代から持ち続けていた、ある“問い”がありました。
それは、「どうすれば、人に選ばれるのか?」という問いです。

カナダにいても、その問いは消えることがなかった。
むしろ、異国の地で、自分の存在が言葉ひとつで“無視される”という体験を通して、その問いの重要性を骨の髄まで思い知らされました。

伝えられなければ、存在しないのと同じ。
それが、この時の痛みを伴って刻み込まれた、私の人生最大の教訓です。

その日から私は、「泣きながらでも、逃げずに食らいつこう」と決めました。
図書館にこもって、授業のテキストを丸暗記するほど読み込んだ。
発言する内容は、ノートに英文で書き出し、事前に何度も音読して練習した。
わからない単語は、辞書だけでなく例文を100回以上読み込んで感覚を叩き込んだ。
毎日4時間以上、自分の意見を英語で話す練習を独りで繰り返しました。

やがて、少しずつ、ほんの少しずつですが、クラスメイトたちと議論ができるようになっていきました。
そして、授業で扱っていた「人の心を動かす仕組み」──
つまり「マーケティング」の本質が、言語を超えて自分の中に染み込んでいくようになりました。

「人は、なぜその商品を選ぶのか?」
「選ばれる企業と、選ばれない企業は、何が違うのか?」
「言葉・デザイン・ストーリーで、無名の会社が人を魅了する瞬間とは?」

この問いに向き合い続けたカナダでの1年間は、私の人生の中でもっとも“脳が汗をかいた”時間だったと思います。
そして気づいたのです。

マーケティングとは、「テクニック」ではなく「共感の設計」なのだ。
その設計図のすべてに、人の感情や習慣、文化、心理、記憶、希望、過去が織り込まれている。

だからこそ、「マーケティング」は“人の心”を学ぶことであり、誰かの未来を変える力になる──そう確信したのです。

そして、その原体験が、今のテコハブ株式会社のビジョンとサービスのすべての根幹になっています。

失敗して、落ち込んで、泣いて、それでも「学ぶことをやめなかった」。
あの時の自分がいたからこそ、今の私があります。

そして今、私がこうして地域や企業の「伝え方」や「集客」や「採用」に向き合っているのも、
あのカナダの教室で、発言ができずにトイレで泣いていた自分に誓った、「二度と“伝えられない自分”には戻らない」という想いがあるからです。

独学プログラミング地獄──コードに泣き、夜明けに救われた

カナダ留学中。
マーケティングの授業に必死で食らいつきながら、実はもう一つ、私は“静かなる地獄”に身を投じていました。

それが──独学でのプログラミング習得です。

当時の私は、マーケティングを学べば学ぶほど、「結局、誰かに頼らずに“自分で形にできる人”が一番強い」という現実を突きつけられていました。
どれだけ素晴らしいアイデアや戦略を思いついても、それを実装できなければ、絵に描いた餅。
「マーケティング×テクノロジー」こそが、これからの時代を生き抜く武器だ──そう強烈に感じていたのです。

でも、当時の私は、HTMLもCSSもPHPも、まったくの素人
コーディング?タグ?要素?──すべてが呪文のように見えていました。

正直、最初の1ヶ月は、何をしても全く理解できませんでした。

YouTubeで検索しても、英語のチュートリアル動画は説明が早すぎて全然追いつけない。
日本語の解説サイトを見ても、「初心者向け」と書いてあるのに、1行目からつまずく。
無料の学習サービスを使っても、サンプルコードを真似しても、なぜそのコードで動くのかが理解できない

HTMLのタグを閉じ忘れて真っ白な画面。
CSSで文字が消えて、戻し方が分からない。
PHPで意味不明なエラーを吐かれて、検索しても答えが見つからない。

「Parse error: unexpected ‘else’」──この一文を見て、机に突っ伏して泣きそうになったことが、何度あったか分かりません。

でも、それでも私は諦めませんでした。

・他人のコードを1行ずつ分解し、動作を確認しながら“写経”する
・エラーが出たら、Google検索で10ページ以上読み漁る
・海外のフォーラムやStack Overflowに張り付き、コードの癖や構文の背景を調べる
・「うまく動いた理由」と「うまく動かなかった理由」の両方をノートに書き溜める

気づけば、夜中3時、エディタに向かって“if文”と格闘している日々が、日常になっていました。

ある日、どうしても思い通りに動かないお問い合わせフォームを、何時間もかけてようやく自力で完成させたとき──
ブラウザ上に「送信完了」というメッセージが表示された瞬間、涙が出ました。
「自分の手で、人を動かす“仕組み”をつくれた」その喜びは、何にも代えがたいものでした。

この独学の地獄の日々は、私にひとつの確信を与えてくれました。

「実装できるマーケター」こそが、最強だ。

アイデアを語るだけではなく、形にできる。
広告の設計から、LPの構築、HTMLの修正、CTAボタンの配置、SEOタグの埋め込みまで──
言語化だけじゃなく、コード化もできる人間が、この時代の勝者になる。

私は、マーケティングとプログラミングの両方を泥臭く学んできたからこそ、テコハブでは「思考と実装が一体化した支援」を提供できています。
お客様の「こうしたい」を聞くだけでなく、「こうすれば実現できますよ」と
コードレベルで即レスできる強さ。
それこそが、私たちテコハブの最大の武器なのです。

そして何より──
コードの1文字、エラー1行、無数の試行錯誤が、私にこう教えてくれました。

「成功」とは、1万回のバグの先にある “1回の動作” のことだ。

そうして私は、泥水をすするようにして、
テクノロジーの世界の“言葉”を一つずつ覚え、やっとの思いで“武器”に変えてきたのです。

学習塾経営の「現実」──倒産寸前を何度も経験

カナダでの留学生活を終え、私は日本に帰国しました。
「マーケティング」と「プログラミング」、この2つの武器を手にした私は、「次は、社会の中でこの力を活かす番だ」と思いました。

そして選んだのが、教育業界でした。
私はかつて、家庭教師として独立した経験もあり、子どもの成長をサポートすることには強い想いがありました。だから迷いなく、ある学習塾に就職し、数年後には独立して自分の学習塾を立ち上げたのです。

開業当初は希望に満ち溢れていました。
「生徒一人ひとりに寄り添い、わかるまで教えきる塾を作ろう」
「点数だけじゃなく、心まで育てる塾にしよう」
理念もビジョンも、情熱も、誰にも負けない自信がありました。

──でも、現実は、甘くなかった。

どれだけ熱い理念があっても、どれだけ時間をかけて授業をしても、経営は別物だったのです。

・開校初月、思ったように生徒が集まらない
・チラシを撒いても反応はゼロ
・ようやく入ってくれた生徒の保護者からは、「もっと成績上げてください」とプレッシャー
・頼りにしていた講師が突然辞め、生徒に迷惑がかかる
・講師の給料日が来るのに、通帳には残高がない
・毎月の家賃が重くのしかかる
・塾の電気が止まりかけたこともあった

開校から1年目、私は経営という言葉の重みを全身で受け止めることになります。
夜中に机に突っ伏して「なんでうまくいかないんだ…」と天井を見上げながら、何度も悔し涙を流しました。
それでも、生徒たちの笑顔に支えられ、必死で教室に立ち続けた。

しかし、経営の現実は冷酷でした。

2年目、生徒数が予想を下回り、月謝が足りず講師に給料が払えない事態が発生。
「このままじゃ人もお金も全部失う」
夜中、通帳とにらめっこしては、「あと数万円、どう工面するか…」と考え続けました。

3年目、ようやく軌道に乗りかけたかと思った矢先、近隣に大手学習塾の新規出店が決定。

あっという間に生徒は大手に流れ、うちの教室には閑古鳥が鳴いた。

その瞬間、私は身をもって理解しました。

「想いだけでは、人は来ない」
「どれだけ優れた教育でも、“見つけてもらえなければ”意味がない」
「ブランド力と仕組みがなければ、生き残れない」

何度も何度も、「倒産」の2文字が脳裏をよぎりました。
実際、銀行や税理士からも「そろそろ畳んだ方がいいのでは…」と、やんわり言われたこともあります。

でも、私は諦めませんでした。
なぜなら、私はかつてカナダで「伝わらなければ存在しない」と学び、プログラミング地獄の中で「成功とはバグの先にある」と学んできたからです。

だからこそ、この学習塾での失敗を「終わり」にするのではなく、「学び」に変えようと決意しました。

私は改めてマーケティングとブランディングの猛勉強を開始し、
・地元密着のキャッチコピーを再設計
・塾のストーリーを「理念」ではなく「成果」で伝えるよう改善
・GoogleビジネスプロフィールとMEOを徹底運用し、地域検索に強くした
・生徒と保護者の声を動画と文章で掲載
・「ブランドとしての塾」を見直し、デザイン・トーンも統一

その結果、少しずつですが生徒数が回復し、口コミでの紹介も増え、教室も複数に増え、地域に根付いた教室として信頼されるようになっていきました。

そして私は確信したのです。

中小や個人こそ、戦略が必要だ。
「小さいからできない」ではない、「小さいからこそ、やるべき」なのだ。

このときの経験が、今のテコハブ株式会社の核となっています。
倒産寸前まで追い詰められた“現場”の苦しみを、私は骨の髄まで知っています。
だからこそ、今、全国の中小企業や個人事業主の方々に対して、
「戦える武器」「潰れない仕組み」を届けたいと、本気で思っているのです。

そして私は、こうも強く思っています。

「失敗」は、必ず「武器」に変えられる。

私は、潰れそうな塾の片隅で、泣きながら学んだ“経営の現実”を、
今、地域を支えるすべての事業者に伝えていきたいのです。

熊本移住・教員時代──“教える”ことの本質に気づかされた時間

学習塾経営での数年間、私は本当に多くのことを学びました。
倒産寸前まで追い込まれた経験、大手の看板の威力を痛感したあの日々、そして何よりも「経営」とは「生き残る仕組み」だと知ったこと。

でも、それ以上に私の中に残ったものがあります。
それは、「教育って、本当は何なんだろう?」という問いでした。

私は、ただ“勉強を教える人”で終わりたくなかった。
生徒の人生に触れ、心を動かし、自信を育て、未来を開く。
そんな“生きた教育”を、自分の手で実現したいという想いが、年々強くなっていったのです。

そんな折、あるきっかけから、熊本への移住を決意しました。

都会の喧騒から少し離れ、自然が豊かで、温かい人たちに囲まれた土地。
──熊本で、もう一度ゼロから人生をつくってみよう。

そう決意してからは早かったです。
縁あって、熊本県内の中学校と高校で教員として働く機会を得ました。

「民間の経営者が、学校現場で何ができるのか」
──最初は不安もありました。でも、教壇に立ったその瞬間、不思議なほどスイッチが入ったのを今でも覚えています。

私はこれまで、自分の塾で“生徒に寄り添うこと”を信条にしてきました。
でも、学校の現場では、それだけでは足りなかったのです。

教室には、家庭の事情で心を閉ざす生徒。
自己肯定感が極端に低く「どうせ私なんて…」とつぶやく子。
学力よりも“居場所”を求めている子どもたちが、想像以上にたくさんいました。

毎日が挑戦でした。
どうすれば心を開いてくれるのか。
どうすれば「わかる」から「やってみよう」に変えられるのか。

私の“塾のやり方”は、学校では通用しないことも多く、何度もやり直しました。
でも、一人の生徒がポツリと「先生、話してよかった」と言ってくれた瞬間、すべてが報われた気がしたのです。

この熊本での教員時代は、
「教えるとは、押しつけることではない」
「相手の背景を理解し、耳を傾け、信じること」
という、“導く”の本質を、私に叩き込んでくれました。

私は、マーケティングや経営といった“数字”や“仕組み”の世界から、
改めて“人の心”に向き合うことの尊さを、ここ熊本で学びました。

そして、もう一つ。
学校の現場にいればいるほど、私の中で強くなっていく想いがありました。

「この子たちが卒業した後、どんな社会に出ていくのだろう?」
「大人たちがつくる世界は、この子たちに誇れるものだろうか?」
「企業やお店は、若者の希望になっているだろうか?」

そんな想いが、私を次のステージへと突き動かしていくのです。

熊本という地で、人間的な土台を築き、教育の本質に触れた私は、
「地域」「企業」「若者」すべてが共に成長できる仕組みを、ビジネスの力で作りたいと本気で考えるようになりました。

──そうして、私は教員という安定した職を離れ、再び“未知の世界”に飛び込むことを決意したのです。

今度は、“個人事業主”として。

次に待っていたのは、「営業しても誰も相手にしてくれない」という、またしても過酷な試練でした──

テコハブ創業──またしても“営業全滅”からの逆襲

教員としての時間が、私の人生を大きく変えてくれました。
人と向き合うとはどういうことか。教育の本質とは何か。社会と若者の未来をどうつないでいくのか──

しかし、私はあるとき、気づいたのです。

「学校の中だけで生徒を導くのには限界がある」
「彼らが出ていく“社会”そのものを、もっと希望に満ちた場所にしないといけない」

そう強く思うようになった私は、再び未知の世界へと飛び込みました。
安定した教員の職を離れ、「個人事業主」として独立。
それが、テコハブの始まりです。

「名刺すら信用されない」営業地獄のはじまり

屋号も決めて、事業プランも描いて、最低限の名刺も作って──
さあ、いざ営業へ!

……のはずだった。

現実は、あまりにも甘くなかった。

一社、また一社と訪問するが、ドアを開けてもらえない。
「また営業か」と言われ、まともに話も聞いてもらえない。
メールを送っても既読スルー、電話をかければ留守電直行。

いや、それでもまだいい方だ。
名刺を差し出した瞬間、目も見ずに「間に合ってます」と断られたこともある。

ある日、地元の商店街を1日かけて30軒以上まわった。
結果はゼロ。名刺を受け取ってもらったのはたったの3枚。
それでも「ご検討ください」と頭を下げ続けたあの日の帰り道、
電車の中で、悔しさをこらえきれず、涙がにじんだ。

「結局またダメか……」
「自分に価値なんて、ないのかもしれない」

何度も心が折れかけた。
でも、同時に私の中には、確かな“確信”があった。

「必要とされる自分」になるまで、やる

確かに、営業は通らなかった。
誰にも相手にされなかった。
でもそれは、自分がまだ“信頼される土台”を持っていなかっただけ

だったら、変えればいい。

私は、再び「何が足りないのか」を考え抜いた。

  • なぜ自分の話を誰も聞いてくれないのか?

  • なぜ他社のサービスは売れているのか?

  • どんな提案なら相手は“耳を傾けたくなる”のか?

この答えを探す日々が、再び私を“マーケティングの世界”へと引き戻しました。
私は、自分自身を「商品」として考え直しました。

何を、誰に、どんな形で、どう伝えれば「欲しい」と言ってもらえるのか?
どんな信頼の積み重ねが、仕事に繋がるのか?

それまでの経験──

  • 家庭教師としての「信頼されなかった経験」

  • カナダ留学で学んだ「伝わらなければ存在しない」という真理

  • 学習塾時代に痛感した「想いだけじゃ潰れる」という現実

  • 教員として培った「人に寄り添う力」

それらすべてを武器に変え、営業資料を徹底的に作り直し、提案内容を磨き、話し方さえも変えたのです。

最初の契約がくれた「生きててよかった」の感覚

ある日、地域の小さな花屋さんに提案を持って行きました。

これまでのように、挨拶して、名刺を出して、断られる…
そんな覚悟もしていた。

でも、その花屋のご主人は、少しだけ話を聞いてくれたのです。

私は、これまでのどの営業よりも誠意を込めて話しました。

  • なぜこの事業を始めたのか

  • なぜこの店に来たのか

  • なぜ今こそ、変わるべき時なのか

ご主人は静かに聞いたあと、こう言ってくれたのです。

「あんた、面白いな。試しに頼んでみようか」

──その瞬間、私は、震えるほど嬉しかった。
1件。たった1件。
でも、誰かに“価値を認めてもらえた”という事実が、すべてを変えました。

テコハブの原点は、「あの営業地獄」と「あの一言」

この最初のご縁から、少しずつ少しずつ、口コミで仕事が増えていきました。
最初は小さなLP制作、次はSNSの代行、そこから採用支援へ──

気づけば、テコハブは“マーケティングの伴走者”として、
中小企業や個人事業主の集客・PR・採用・販路拡大を支える会社へと成長していったのです。

でも、この礎を築いたのは、成功体験なんかじゃありません。

すべては、
あの時代の“営業地獄”──
誰にも相手にされず、
名刺すら受け取ってもらえず、
「帰って」と言われ続けた日々。

そして、
たった1人がくれた、「面白いな、頼んでみようか」という一言。

「だから、あなただけは見捨てない」と決めた

私は思うのです。
“うまくいかない時代”ほど、人には本当の伴走者が必要だと。

私はもう、あの時の自分のように、孤独で、悔しさを飲み込んで、
「自分に価値があるのか」と悩んでいる人を放っておけません。

テコハブは、「失敗だらけの人生」から生まれた会社です。
だからこそ、今苦しんでいる人・企業・お店のリアルな痛みがわかる。

私たちは、決して机上の空論で終わることはありません。
現場に出ます。話を聞きます。共に悩み、共に進みます。

マーケティングの知識も、デザインも、システムも、全部使って、
あなたの「明日を変える仕組み」を一緒につくります。

それが、あの“営業地獄”から這い上がった私が出した答えであり、
テコハブという会社の存在理由です。

テコハブの使命──「地方から日本を変えるテコとハブになる」

営業地獄から這い上がり、最初のクライアントと出会い、少しずつ信頼を積み重ね、事業がようやく軌道に乗り始めた頃。
私の心の中に、ひとつの“疑問”が芽生え始めました。

「自分がマーケティングの知識やノウハウを提供する先は、本当に“変革”を望んでいる人たちか?」

都会のスタートアップ、大手の下請け、急成長中のECショップ──
確かに仕事としては面白いし、報酬もいい。
でも、私の心がどうしても惹かれていったのは、地方の、困っているお店や事業者の声でした。

  • 商店街で何十年も頑張ってきた八百屋さんが、「このまま閉めようか」と呟いた声。

  • 後継ぎがいないと嘆く町工場の職人の背中。

  • SNSのやり方がわからずに、閑古鳥が鳴く美容室の店主のため息。

その一つひとつが、まるでかつての自分自身──
「どうすれば伝わる?」「どうすれば選ばれる?」と泣きながら悩んでいた若き日の私のように思えたのです。

テコハブの名前の由来

私たちの社名「テコハブ」には、ふたつの意味を込めています。

「テコ(lever)」= 少ない力で大きなものを動かす原理
「ハブ(hub)」= つなぐ、つながる、中心点となる存在

つまり──

「地方にある小さな会社や店の“テコ”になり、“ハブ”となって、日本全体を動かす存在になる」

これが、私たちが掲げたミッションです。

地方には、無限の可能性がある

私は熊本という地で起業しました。
いわゆる“地方”と呼ばれるエリアです。

東京のように人も情報も集まっていない。
でもその分、人と人との信頼がすべてを決める場所

  • 一つの店が潰れれば、その通り全体が暗くなる。

  • 一人の若者が地元を出ていけば、その地域の未来が薄れていく。

だからこそ、地方で頑張る人たちを、本気で応援する会社が必要だと確信しました。

東京発じゃなくていい。
福岡発でも、大阪発でもない。

熊本から、日本を変える。

それくらいの気概がなければ、地方に生きる人たちに希望なんて示せない。

テコハブの仕事は「マーケティング支援」ではない

もちろん、私たちはマーケティングの専門家です。

  • 集客戦略

  • PR設計

  • 広告運用

  • 採用ブランディング

  • LP制作

  • SEO・SNS施策

あらゆるマーケティングの手法を駆使して、クライアントの成果に直結する支援をしています。

でも、私たちがやっているのは、ただの“ノウハウ提供”ではありません。

私たちが本当にやっていること。

それは、

「地方にある“埋もれた宝”を、磨き、照らし、世界に届ける」こと。

それは商品かもしれない。
それは人材かもしれない。
それは、その店主の物語そのものかもしれない。

私たちは、その“宝”に光を当てるマーケターであり、編集者であり、演出家であり、翻訳者なのです。

「地方を救う」のではなく、「地方を立たせる」

テコハブの支援は、依存を生みません。

私たちが目指しているのは、「この会社に頼り続けるビジネス」ではなく、

「自分たちで未来を創れる力を、地方の企業に宿すこと」です。

だからこそ、私たちは「伴走型支援」にこだわります。

  • どんなに小さな相談でも本気で向き合う

  • 現場に足を運び、現物を見て、リアルな課題を感じ取る

  • 一方的な提案ではなく、“一緒に答えを創っていく”スタイル

そして最終的には、「もうテコハブがいなくても大丈夫だ」と言われる日をゴールにしています。

私たちは救世主ではありません。
でも、「一緒に踏ん張る相棒」にはなれます。

日本の未来は、東京じゃなくて地方にある

私は本気でそう思っています。

  • 高齢化

  • 空き家問題

  • 商店街のシャッター化

  • 若者の流出

これらすべてを、国や行政だけに任せていても、解決しない。
今こそ、地方の中小企業や個人事業主たちが“立ち上がる番”です。

そしてそのために、テコハブは存在しています。

地方からでも勝てる。
地方こそが可能性の塊だ。
そして、自分たちの手で未来を変えられる。

その証明者になるために、
私はこれからも、地方で、地べたを這いながら、声を上げ続けます。

最後に──あなたの“今”を、一緒に変えませんか?

ここまで、長い物語を読んでくださって、本当にありがとうございます。

きっと今、あなたも何かしらの「壁」に直面しているはずです。

  • 集客が思うようにいかない。

  • 求人広告を出しても応募がない。

  • 良い商品をつくっても、販路が広がらない。

  • 経営に疲れて、本当は辞めてしまいたくなる瞬間がある。

その気持ち、痛いほど分かります。
私自身、何度も「もうやめようか」と思ったことがあります。

でも──もし、あのとき諦めていたら。
たとえば19歳で「家庭教師なんて無理だ」と投げ出していたら。
カナダで英語の授業に泣きながらも必死に食らいつかなかったら。
深夜のエディタの前で「もう無理」と手を止めていたら。
学習塾で倒産の危機に直面したときに、逃げていたら。
熊本で営業がゼロだったあの頃、「こんな自分じゃ無理だ」と引いていたら──。

きっと、今こうして、あなたと向き合って話す私はいません。

私は特別な才能があるわけじゃありません。
むしろ、不器用で、泥臭くて、デブで、カッコ悪くて、たくさん失敗してきた人間です。

でも、そんな私でも変われた。

だから、あなたも絶対に変われる。

どんなに今の状況が厳しくても、
どれだけ自信を失っていても、
どれだけ資金やリソースが少なくても、
小さな「やってみようかな」という一歩が、
未来を根本から変える最初の“テコ”になる。

そして、その一歩を「一緒に踏み出す相棒」が、私たちテコハブ株式会社です。

私たちは、あなたのそばに立ちます。

あなたが今、どんな業種で、どんな状況にいても構いません。

  • 売上が落ちているお店でも

  • 人が採れずに困っている会社でも

  • 地方で誰にも知られていないブランドでも

  • 社内にマーケティングの知識がまったくなくても

私たちは、あなたの事業を“他人事”ではなく、“本気の当事者”として考えます。

数字だけじゃなく、あなたの「想い」にも耳を傾けます。
無理な提案ではなく、できることから一緒に始める設計をします。
押し売りでも、机上の空論でもなく、実践・改善・結果にこだわる支援を貫きます。

人生が変わる瞬間は、いつも“行動のあと”にある

変わりたいと思ったとき。
未来をもっと良くしたいと願ったとき。
たいていの人は、「もう少しタイミングを見てから」と言います。

でも──

本当に変わる人は、「今」動いた人だけなんです。

どんなに素晴らしいノウハウも、どんなに完璧な戦略も、
「行動」しなければ、何ひとつ変わりません。

「今のままでいい」と思うなら、それも選択肢です。

でも、あなたの中に、ほんの少しでも「変わりたい」と思う気持ちがあるなら──
それは、あなたの心が出している“未来からのサイン”です。

あなたの挑戦が、地域を動かし、日本を変える。

テコハブという名前のとおり、私たちは「小さな力で、大きな変化を動かす」存在でありたいと思っています。

その変化の源は、あなた自身です。

  • 地元の店を復活させたい。

  • 従業員の家族を幸せにしたい。

  • 自分の事業に誇りを持ちたい。

  • 子どもたちに「こんな生き方もある」と伝えたい。

その願いを、私たちはマーケティングと仕組みの力で形にします。

“今”が、未来を変えるスタートライン。

あなたがこのページを読み終えた“今”この瞬間が、
あなたの人生を、事業を、地域を、未来を変えるスタートラインです。

私たちは、あなたの一歩に、本気で寄り添います。

どんな小さな悩みでも構いません。
「今さら聞けない」と思っていた相談でも構いません。
むしろ、そんな方こそ私たちが一番お力になれるはずです。

📩 無料相談受付中

このページの下部から、お気軽にお問い合わせください。
あなたの“今”を変える、最初の一歩を一緒に踏み出しましょう。


あなたの物語は、まだ始まったばかりです。
私たちと一緒に、「次の章」を創っていきましょう。

🔻【今すぐ】あなたの“変えたい”を、動かしませんか?

「ちょっと話を聞いてみたい」
「何ができるのか一緒に考えてほしい」
「どこから手をつければいいか分からない」

──そんな方こそ、今このページから、一歩踏み出してください。
無料相談は今すぐ、たった30秒で完了します。

✅ 無料で相談する(先着5社限定)

📩 ご相談は完全無料・秘密厳守。
強引な営業は一切いたしません。安心してお申し込みください。

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💬 無料相談ではこんなことが分かります!

✅ あなたの集客・採用・販路の“どこ”にボトルネックがあるのか?
✅ 改善すべき「導線」や「PR方法」は?
✅ 何から始めるのが最短で成果につながるのか?
✅ 他社事例から導く“うちにも使える戦略”とは?

📅 ご相談の流れ(かんたん3ステップ)

  1. 下記フォームからご希望日時とお悩みを記入(30秒)

  2. 担当者から日程確定のご連絡(24時間以内に返信)

  3. オンラインまたは対面にて無料ヒアリング(30分〜1時間)

🔐 安心のサポート体制

  • 経験豊富なマーケティングアドバイザーが対応

  • ご相談内容の秘密厳守

  • 押し売り・強引な営業は一切なし

  • あなたの課題にフィットした戦略だけをご提案

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💥 今、この瞬間が未来を変える分岐点。

「やるか、やらないか」
それだけで、半年後、1年後、あなたの未来は劇的に変わります。

変わりたいなら、“今”動くしかない。

テコハブが、全力でその一歩に寄り添います。

🛎 まずは、気軽にご相談ください!

どんな些細なご相談でも大歓迎です。
あなたの物語が始まる日を、私たちは心から楽しみにしています。

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かなりの長文をここまでお読みいただき本当にありがとうございます。

テコハブ株式会社
代表取締役
中野 太助